関連記事 「仁科蔵王」物語  仁科蔵王 裏話  仁科蔵王

<-top


 2011/09
 「ふっこう桜」など仁科蔵王の花粉を用いたつもりの実生には今まで多数の発芽を得ているが、黄・緑の痕跡を見つけるのは困難だった。しかし今年の不規則な春の訪れで緑黄色の片鱗が遺伝しているものを見出すことができた。仁科蔵王のもとになる御衣黄と須磨浦普賢像にはなかなか花粉が出ないほか交雑実生も得られていない。うこんは花粉が出るがこれもまた実生を得られていない。おそらく黄色緑色の桜のバラエティーの母体として仁科蔵王は貢献する。しかし、それなりの品種の裾野を持たないと目指す頂点にはおいそれとはたどり着けないと覚悟がいる。

2010/03

新品種育成者の会から育種賞が送られてきた。
 ここの総会は3/8−9あたりで卒業式のはなふかし、今年はホテル命名イベントの後始末などで行けたことがないのが、仕事上の問題点。
文面には「あなたは多年に亘り日本国花桜の育種を手がけ・・・・」
桜いつ日本の国花になったんかなぁ。話によると法律ではなっていないが・・・・外国に決められてしまったような話だったが、今からよく調べよう。
コノハナサクヤ姫はまあ天孫降臨なすった天皇家と日本を結ぶお方なので、日本の土着のほうともいえるが。

仁科蔵王 裏話

 裏話を書くのは志の妨げか、人々に希望を与えることになるのか、失望させるのかわからないけれど。理化学研究所でこうした実験をしているというお話を最初に教えてくれたのは、植松カットフラワーの星野さんという方だった。星野さんもたくさんの育種をされておりさまざまの名花を作り出しておられた。
 彼は、メルトモで、いろいろいいアドバイスをくれたが放射線育種場の依頼照射なども教えてくれた。
 2000年から放射線育種を継続しているが、面白いものができてはいるが形質が安定せず品種登録にいたらないまま7年を経過したが、最近、形質を固定する方法を見つけたので近々それらで得られた形質を持つ新しい品種を実用化させることができると思う。近々といっても5−6年先になるだろうけれど。
 彼に会ったのは2003年のことだったがその固定しない問題について深く話し合った。そこで出てきたのが重イオンビームだった。すごいなと思い早速紹介いただいた吉田先生に連絡を取ったところ、阿部先生をご紹介いただき早速照射という運びになった。2003年に照射したのは「山形おばこ」まだ発表したばかりの品種であった。翌年欲が出てギョイコウに照射を行ったものが今回の「仁科蔵王」となった。
 
 1987年隣の庭先に越境した枝を伐採したとき、その枝に黄色い花がついているのを見つけた。品種は御衣黄、花弁は薄くその短花枝を枝を取って芽接ぎを3箇所に行ったが結局失ってしまった。御衣黄は黄色になるという信念が生まれた。以後さまざまの実験から自然突然変異の生存率は1/15以下ということがわかってきた。品種にもよるが今まで50ちかく自然突然変異を見つけてもひとつたりとも生かせていないものもある。
 桜のほかにもさまざまいじっていたが、上記の縁でガンマ線が使えることがわかりガンマ線を御衣黄に当てたところ関心のもてるものが生まれている仁科蔵王が初開花した数年前、ガンマ線でも黄色みたいな桜が生まれていた。これは完全に単弁になり少し茶黄ばんでいたがもちろん商品価値は見て取れた。しかし翌年別の花が咲き、一部は元に戻ったり、同じ枝でも微妙に変化しており安定・固定はまだ時間がかかると思われる。やればさらに他の障害があることもわかるだろう。
 自然突然変異で見た黄色い桜は花弁が薄く、3日しか咲いていなかったが仁科蔵王は10日を越えて咲いており2007年は気候のせいで20日程度木についていた。花持ちはよいままであった。結果としてこの品種を次の改良母体としたいと阿部先生に打診し、同じ処理をすれば再現するであろうから先に品種登録で抑えることを提案申し上げた。仁科蔵王は開花当日のみ黄色を出すが、後は順次変化していく。自然突然変異で見た黄色い桜は色は変化しなかった。まだ改良の余地は多い。だがどうだろうか・・・花としてみたとき・・・最初に咲く色から順次毎日変化していく、花の色も玉虫色でいろいろ議論できる。強くくっきりした色で君臨するよりも、日本人には議論の余地があり多くの人のわがままを聞いてくれる桜のほうが愛されるようなきがする。完全な黄色なら別の黄色い花に負けてしまうかもしれない。桜には桜の出す黄色があるのだろう。
 結論から言えば御衣黄は黄色になりたがっていた。枝変わりを起こしたものをとり損ねたのは私の技術が未熟だったためで、御衣黄には申し訳のないことをしてしまった。そんなおもいがまだあの時見た完璧な黄色へむけて次のステップにかりたててくれる。そして黄色になることは色だけでなく別の目的があって変化したことがそのときにわかったのだがこれはノーコメントだ。
 2006年福岡県の鹿毛哲郎師が九州からわざわざうちを訪ねられ、いろいろいいお話をされていった。「植物をもっと信じなさい、そうすれば植物も人間に答えてくれる。」この岡本太郎氏にも似た教えの真意がここにあるのだが、私の場合一度奇跡か偶然に見つけているわけで、盲信して進んでいたのではない。師ははっきりした姿ではなく植物の観察の中に片鱗を見つけてそこを追い求めていかれるようだった。他にもすばらしいお話はたくさん伺えたが、私が用済みになるころに打ち明けることにしよう。

 2003年 重イオンビームをはじめて当てて寒いときに200以上の穂木を接いだが生きたのは3本だった。現在そのときの生存者は2品種だけ。その失望的状況で挫折しないように阿部先生から叱咤激励のメールがいくつか来たのが印象的だった。最初ガンマ線をやったときは80Gyで620個体中8固体(選抜をかけたので現在2)しか残らなかったのでまあこんなものとして、あきらめず来年もやりますのでと返事したと思う。でもここで叱咤激励がないとおっくうになりなかなか進めなかったろうとおもう。ガンマ線が依頼照射なのでのんびりペースでやっている・・・・わけでもないが・・・・共同研究でもないので、成果を出す必要がないから、隠し持つにとどまるものもあるのは事実だ。だだガンマ線は安価に大量サンプルが取れるので確率的にはいい。
 重イオンビームは理屈どおりエキサイティングなものがたくさんできてくる。だがそれは人の勝手な遺伝子操作によるものではなくいつかその植物が偶然に運命的に作り出す変化だということだろう。が、やっていいなら私個人としては遺伝子組み換えも関心はあるしどんどんやりたい。自然界には遺伝子を壊したりなんか変化させるウイルスのような病菌も存在しており、それを使っての育種も進めているがなかなか思うようにはならない。以下がその罹病個体であるが場所により発現現象が違うが、濃色方向の変異は起こさない。これは樹液によって伝染するので隔離している。 

 ヒトのDNAにもヘルペスが混在しているように、植物にもいくつか侵入して姿を潜めているウイルスたちがいるようであるがそれと気がつくのは観察と時間が必要になってくる。

2008/10/27
植物の花の色の進化は 緑 黄 白 赤 青 と進んだのですが、なぜ桜は黄を飛ばしたか。
  これは仁科蔵王で手がかりを得ましたが、緑・黄色の色素生成時間が異常に短いということのようです。黄色は紫外線からDNAをよく守る色です。したがって花粉も黄色がベースです。この防衛は日差しの弱い春に必要ないわけで、より早く虫を寄せる色素を生成していると考えます。桜の種子形成と子孫を残すにはこのほうが良かったのだろうと考えます。

2008/11/12
 仁科蔵王の販売が始まった以上観察日誌など、一般の方々からも多くの特性発見記事が出てくることが予想される。また、私達が見つけていなかった新事実を買った人の中の誰かが見つけ、新しい展開を進めることもあると思われる。
阿部先生ともお話しているが、初期黄色というだけで商品化していいのみたいな話も出たが、それだけでなくいろいろな重イオンビームの効果がでている。そこから考察を重ねていくと植物の進化の経路、植物の進化の道筋が見えてくる。

2008/10/25 仁科蔵王秋咲き 接木7ヶ月(1才性) 雌髄子房多発

 なぜ新しい品種というとみな騒ぐのか・・・・
ロバート・フックはなぜ微生物を発見できたか・・・・フックは顕微鏡を発明したからだ。
緑の桜はなぜ生まれたのか、御衣黄・ウコン・須磨浦普賢像・・・・みな色素の形成途中で開花したか、色素形成が遅れたか、の突然変異だ。
色素形成が遅れたばかりか、花粉形成、雌髄成熟も遅れていてほとんど役に立っていない。
 しかし、仁科蔵王は雌髄と花粉形成が順調に終わっているようだ。そのため花の色がワンステージ進んだたけのことで、黄緑になったとして生物学的にたいしたものではない。より早くこの桜を手にし、交雑により新しい緑や黄色の桜を次々と作り出してその真価が出てくる。
 まだすべての現象について発見し尽くしたわけではない。いそいそと手にした人から、日本各地でいろいろな気候条件の下から、様々の現象が発見され、これをもとに新しい緑・黄色系の桜が50−100と生まれてくると思う。
 こうした品種は普通育種家なら押さえて発売する前に10−20の品種を作ってから売り出すものだ。
しかし、公的機関での成果でもあり個人的欲望で抑えられるものでもない。しかし、少なくとも国としての利益と先行優位くらいは守るべきだろう。この新しい桜にはフックのような、子供でも分かるような発見が盛りだくさんにでてきている。

 桜はなぜ接木したり挿し木したりした翌年花が咲かないのか・・・他の植物は、たとえば稲は種をまいて4ヶ月で花が咲き、そこから2ヶ月で種(米)を作る。だが、植物には5年も10年も花をつけない植物が多い。大きくなって生態系で優位な立場になってから花と種子を作るという考え方が当てられている。その裏づけのように、そもそも桜も重イオンビームによって接木・挿し木1年で咲くようになるところから、もともと何もなければは種後1年で花咲く遺伝に落ち着くと思われる。従って、播種1年で開花する遺伝子は劣性。
 ただし、挿し木、接木1年で花が咲いても、自然界の桜すべて試したが今のところ私は播種1年で開花した桜には当たっていない。挿し木1年で咲く山形おばこや稚木の桜の実生でも今のところ1年では咲かない。
  ここで見られる秋咲き遺伝も劣性である。花は準備が出来たら(分化完了したら)いつでも咲くつもりのようだが、何らかの遺伝子がそれを抑制している。

 仁科蔵王は狂い咲きすると子房が複数個出てくる。
 さてこの現象はなんだろう。重イオンビームが破壊した遺伝子のせいであるならば、桜が実をひとつしかつけないのは自ら選択した遺伝ということになる。そしてなぜ桜の子房はひとつなのかに答えを出さないといけない。
山形県園芸試験場の紅秀峰の育種をされた先生とお話したときに、リンゴは1つの実から種10個取れるけど、桜はひとつなものだから、対立する遺伝子の性質が良く分からない。対で実生が取れればどんな形質のペアで植物が出来ているかわかるのに。
 桜の果実と種はなぜ1つなのか、時々高温障害で双子果を出すが基本的に1つ。雌髄が二本の関山などもあるが実がつくときはひとつだ。
 二つ三つと雌髄が発生し子房が受精してもなかなか成熟しないで途中で落ちてしまう。また、雨で腐ったり、虫に食われたり、桜の実の成熟は急がなければならない。従って桜は種子をたくさんつけ、皮を硬く大きくしてゆっくり育てる戦略ではなく、ひとつに絞ってさっさと成熟させてしまう方向を選んだのだろう。


2008/05/09 仁科蔵王の開花後の子房のふくらみ

 御衣黄は子房を膨らませることなく花を終わる。
仁科蔵王は花粉を撒き散らし子房が膨らみ、いまだ確認はしていないがあたかも稔性を回復せんとしたようだ。
ということは、御衣黄は何らかの優性遺伝子によって花粉も子房も機能しないように阻害していたと思われる。
その阻害とはなぜだろうか。
 考えてみれば、緑色で咲くということは、花原器の葉緑体の抜けきらない状態、他家受精の桜としては未成熟状態で交雑開始するのは押さえ、成熟した短時間で他の花粉を受粉するようにコントロールしているためだろう。だが、御衣黄、うこん、須磨浦普賢像など突然変異で緑の色を落とさず咲いた桜は、咲いた時点で花粉と子房が成熟していないか、成熟したと認識しないなどのずれが生じてなかなか種子を形成しにくくなっているのだろう。
 そこに、重イオンビームでさらに突然変異を重ね偶然、花の分化と、花粉・子房の成熟のタイミングがあったため稔性を回復する兆しがでてきたものだろう。あるいは成熟を阻害していた優性遺伝を破壊したが為単純に回復したものだろう。
 そのトリガーが「花から緑をのぞくこと」つまり原器のうちは残っている葉緑体を排除して花が成熟し稔性を回復するトリガーにしているのではないかと思われる。
 いずれの考え方も仁科蔵王の体内のバランスによって色・稔性と連動していったものと思う。

上の日付が一部前後しているのは書きだめして公開していなかったため。

 2008/11/29 仁科蔵王は托葉も巨大化している。もともと1つの節から3−4枚出していた葉を1枚にしたため、猿化した葉が托葉というアデノウィドみたいな付け足しになったものか。それら後付遺伝子が破壊されて元に戻って巨大化したのかどうか。
 まあ桜ではどうでもいい変異だが、野菜なんかじゃ、応用できる生産性の上がる話だ。托葉があればね。


(つづく)

関連記事 「仁科蔵王」物語  仁科蔵王 裏話  仁科蔵王

<-top