山形霞憐  Yamagata Karen


2009/12/25
 そろそろ、さわぎも人気もひと段落したのでほんとのことをかいとこう。
 本種は2004年発芽、八重久作×白妙の実生を80程度得た中から、アトラジン除草、カソロン除草して、殺虫剤と殺菌剤を無使用として、栽培しやすいサクラを作ろうとした。しかし、残ったのはたった3固体のみだった。その中から2007年に咲いた早期開花の品種がこの山形霞憐だった。したがって接木しても苗から最長2年目で咲くという性質を持っている(土壌栄養失調は何年たっても咲かない、他のサクラも一緒)。
 これらすばらしい形質を持っているほか、樹勢は強く、街路樹向きの箒状樹形。促成にも使え早生になっている。実もなるので今後育種に利用は大いに期待できた。また、敬翁桜でよく起こるウソによる花芽の食害もない。枝を切っても切り衰えしない。密閉挿しによる挿し木が可能である。
 しかし、里桜系統は八重桜も多く、関心はあるもののこれ以上実生を続けるのは私の経営規模ではままならない。敬翁桜系の八重も手にしているので、その方向に絞っていく。したがって、われこそはという人は6月中ごろに公園に来て山形霞憐の実を拾い集め実生してみて欲しい。枝を持っていくと文化庁管轄の公園だから犯罪になる。きっと面白い八重桜が展開するだろう。
 これは、「山形霞憐の実生です。山形行って拾ってきました。」といっても、別に誰も怒らないし、どんな花が咲いたか見に行くこともあろうと思うし、品種登録とって儲けてもなんら問題ない。 


2009/04/27 
 霞城公園で植樹式を市長が開いてくださった。命名者は市川昭男山形市長。
ここに植えたのは原木でコピーはほかでは見れないから、今連休中山形に来て見てくださいね。駅から歩いて10分以内です。山形駅西口から出て、霞城北門から入ってすぐの桜の園西の端です。
 スクリュー状にまとまりある花弁、色合いも桜色から濃すぎず薄すぎず。あんまり自我自賛してかっぱらわれても大変なので見て楽しんでいただくのが一番。売って儲けろと推奨されましたが、別にこれだけが私のところの品種じゃないし、市長にお任せです。接木しても咲くのに5年かかるし、巨木になるし、庭に植えられるもんじゃないのは明らか。ここに見に来るのが手っ取り早いかな。山形市に来賓が来たときのディスプレィになれば最高です。

 農業関係の県職にさっさと啓翁桜の推奨やめろといっていますが、動きにぶいですね。完全絶滅はないにしても、今後の展開では価格下落は避けられないでしょう。対策は多様化です。


山形市長 市川昭男様
 ならびに 市役所の皆様
  今日ご参集の皆様

             謝辞 

 山形市で農業を営んでまいりました石井重久です。父の後を継いでから、切り花栽培を主体としてまいりました。家が山手なために花の咲くのもこちらより3日遅く、親父は普通の花では町の連中に負けると常にオンリーワン戦略を取ってまいりました。1980年代まではだれよりも早く種苗会社からタネと苗を導入しておりましたが、その80年代半ばごろからおかしくなり、先手を打って、自分の品種開発を始め切り花を続けてまいりました。その一環が桜の品種改良で、毎年50品種程度選抜してまいりました。しかし、今回ここにお披露目いたしますような八重桜はいまだ5品種しか生まれておりません。しかし、昨年の市長のご配慮に合わせて咲きましたこちらの桜は、必然的・縁によって市長を讃えられたものです。去年まで警察署協議会におりましたが、昨年、全国一青少年犯罪の少ない県となりました。全県3/4の犯罪を抱える当警察署のがんばりと、市長の低所得層の学童に対する健康保険証の交付によって、差別意識が生じなかったためと、地県市町村を見て感じた次第です。
 
 本日 市川市長より私の育成いたしました桜に御命名いただき喜びにたえません。本種は2004年発芽、現在の県奨励品種「八重久作」に「白妙」を交雑して育成したものです。正真正銘原木で接ぎ目はございません。本来切り花の適性でもって選抜したもので、市長からお名前を頂戴し、市の特産品として売り出す目的もございましたが、ここ、セレモニーにいたっては市長のほうで売り出されるか、配布されるにおまかせし、私から売り出すということも控え、霞城公園での皆様の楽しみになれば幸いです。
 
 花は、5年続けて同じ花を贈答する客はいない、個性化が進み人々の好みが分散している、そして常に今回の命名いただくような話題性を求めています。
 さてこのたび、自己宣伝にはなりますが、ジャパンフラワーセレクションに2年続けて啓翁桜の新品種が入選し、全国の数箇所から、市場・自治体・JAなどの特産化についての、商談を受けることとなっております。他県においては強力な特産物もなく、差別化と価値の付加に悩んでいることは当県以上です。当県にても今年、デフレ不況のため啓翁桜の溢れが市場で起こって今春、同士の啓翁桜農家は大変な損失を負っていますが、なんら対策のないまま今年も自由に増殖できる啓翁桜の更なる増産を県政にてはかろうとしています。すでに啓翁桜も桑やラフランスと同じ運命をたどりはじめているというのに。
 
 そこで、県にも啓翁桜農家救済の意見を申しておりますが、市長即日に対して、県は3年検討するらしく、次の桜はそろそろ散ります。他県や当市役所の皆様の対応が如何に早いかを思い知らされることとなりました。そこで、父の育成普及した啓翁桜に替わる産地の育成と普及を、天意の示すところで行わざるを得ないことをこの場の皆様にてご理解ください。

 今回、このようにすばらしいステージを設けていただきました、山形市役所の皆様、間を取り持っていただきました市会議員・今野誠一様、そして、多大のご理解とご支援をいただきました山形市長・市川昭男様に深く御礼申し上げ、われらの山形市が世界に名を轟かせ、花満ちる美しい町とならんことを祈念致します。本日このようなステージを設けていただき、市長はじめ、みなさまありがとうございました。

       平成21年4月27日
                 石井 重久

2009/04/24 市役所に市川市長命名の桜をお届けしたが、式典をやろうと市長がおっしゃって27日再度出直しとなった。

2009/04/24

 「石井若狭」が当家の先祖といわれ、最上義光に送られてきたといわれる。ぐぐってみればわかるが、庄内の灌漑の審査、消失した羽黒山本殿の補修の現場監督などやったようだ。が本来、霞が城を設計施工するために来た石工だった。霞が城には他に有名な桜、「血染めの桜」がある。白い江戸彼岸であるが、それが血染めとは、たいそうな切りあいになったこととおもう。現在の村山市の白鳥十郎に、病床なので同じ源氏のおじに家督を預けるといって呼び出して十郎を病床より飛び起きて頭を割って殺めた。その従者を追い詰めたところだったと言われる。
 そんないわくのある桜しかない霞が城はちとさびしい気がする。最上義光は謀殺・謀略・諜略に長けていて、評判よろしくなかったが、下から見れば戦争兵役が軽くてよい殿様だった。少なくとも伊達のように百姓一揆や、その討伐という事件もなく内政は豊かだったといえる。