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「啓翁桜を究明する」       JFC石井農場
 本サイトの構成には樋浦巌山形大学名誉教授の「園芸繁殖学」による方法を不肖ながら踏襲させていただきましたが、至らない部分につきましてはすべて私の力不足であります。
 本内容は2003年から2004年2月までYahoo geocities に載せていたものです。 English Here
Group site / prunus.net / prunus.org / sakula.net / cerasus.info / qsaku.com

本サイトの内容は一方的に訂正することがあります。また同一の結果が得られることをを保証しません。本サイトの内容の引用コピー使用は固くお断りします。
引用されたいときは本サイトにハイパーリンクしてください。


2005年遺伝子分析の報告から以下のように分類します。(山形大学 江頭宏昌先生)
 北九州久留米の敬翁桜を発端として、山形において商品として発展した啓翁桜であるが、江頭先生によりますと、易変因子等の変異によるものでもなく、木本でクローン繁殖してきたため変異が蓄積して行ったものとの見解でした。たしかに現場からはりんご「ふじ」、さくらんぼ「佐藤錦」にもこうした変異は起こっていると推定できる報告が多々あります。
 ただここで明らかになったのは、久留米の敬翁桜なくして山形の啓翁桜はありえなかった。まさに、良永啓太郎氏、弥永太郎氏、そして大和農園山本分場長のご縁によって啓翁桜がここに咲くことに深く敬意と感謝申し上げる次第であります。

  敬翁桜 (弥永太助氏から導入した原種敬翁桜)
    |
    | わずかながら変異が認められる。 おそらくミュータントか?
    |
    |→  日本花の会 結城農場の啓翁桜?  明らかに別物
    |→  信州系 啓翁桜 3系統 交雑による実生系統
    |→  各地の 啓翁桜
    |       支倉系
    |
    |
    |
    ↓
  啓翁桜 (商品名として使ってしまった。山形の (原種)啓翁桜 = 山形1系敬翁桜) 山形*系敬翁桜
    |      |
    |      ↓
    |     RAPDによって遺伝子差異の認められない変異グループ。または差異小のミュータント群。  
    |       初夢吹雪 (短休眠系統)
    |       山形おばこ(一才性系統・矮性系統) 矮性はGA生成遺伝子欠落による。
    |       
    |       その他のミュータント群
    |             希望           濃色 短休眠
    |             美和           無休眠 矮性 一才性 
    |             色濃い敬翁桜     濃色 
    |             bzk70000      矮性 その他
    |       
    |       
    |       
    ↓   
  明らかな遺伝子の差異の認められる変異グループ。交雑雑種群。
    (これからの敬翁桜)
      彩久作         短休眠 喬性 (F1)
      白寿           喬性 半八重 その他 (F2)
      SPRING8       枝垂れ 喬性 耐雪 耐風 (F2)
      ハシキーム       その他(bzk70000同要素) (F1)

      意図的な商品育種へ
        短休眠系統     8
        極短休眠系統    2
        無休眠系統     2
        虫忌避系統     2 (放射線育種による)
        耐病系統       
        半八重系統     12
        八重系統       
        色素変異系統    
        枝垂れ系統     18
        這枝系統      5
        濃色系統      ミュータント・交雑
        無着花系統     2
        矮性系統      多
        喬性系統      多
        一才性系統    13
        その他系統
2006年6月まとめ
2006/12
本データは10年ほど前に行った敬翁桜の形態からの分類作業の一例
 大雪で木が裂けやすい、台風で木が裂けやすいというのは形態的には主幹がどれだけ幹を抱え込むかにかかっている。この結果山形14系敬翁桜がもっとも裂けにくい、倒れにくいということを形態的に裏付けていることがいえた。
 彩久作は折れやすく倒れやすいが、その倒れた幹から根を出しものすごい繁殖力を示している。しかし惜しむらくは倒れやすさと発根の容易さは関連して遺伝していないから、中には貧乏くじを引く品種も現れる。
 ではなぜ、枝をがっちり抱え込まねばならないのか、枝を抱え込まないものは折れた先から増えていくという、栄養繁殖によって増えることができるという増殖戦略がある。
 ところががっちり抱え込んで裂けない折れない倒れないという必要性は一体どんな問題に対応しているのだろうか。
 この写真は取り木の過程であるが、失敗すると株全体がかれてしまう。
失敗するとは樹皮から病気が侵入して、胴枯れ病や樹脂病を引き起こしてしまう場合である。小さく増やそうとして全体を枯らしてしまうかもしれない危険行為である。
 したがって、土にある病気の菌が怖いというべきか忌む場合の遺伝子として枝が土に触れないようにする必要があったものと考える。しかし、これもまた土に触れると病気になり易いかなり難いかの遺伝とは独立に存在しているようで、山形14系敬翁桜は病気に対しても1系よりかなり強い。


 啓翁桜普及の経緯と敬翁桜の分離分散状況。

 石井久作が本格的に啓翁桜を普及し始めたのは昭和40年代末からで、蔵王、秋田、東根、酒田の順で始まったと聞いている。正確には本人に記録をたどってもらっているところであり、まだ先の公開になる。この当時敬翁桜は大和農園の山本分場から導入しこちらでは推定30品種以上の混成状態であった。これらに「切り枝によるきり衰えの淘汰」がかけられてまず切り衰えしない敬翁桜が残った。
 昭和40年代後半山形県園芸試験場でも同農園より敬翁桜を導入しているので同試験場でもばらつきは5年前までは確認できた。導入しながら試験は勝木先生が石井農場まで通ってきて枝を切って、当農場の室で
開花試験を行っていた。当時はまだ園芸試験場に施設がなかったためと、敬翁桜が実験できるほどに育っていなかった。
 勝木先生は博士論文の追試・試験の欠落部分の補足に50年代後半にも当農場を訪れて試験している。そのとき、県外や種苗会社ごと、また導入した園試の敬翁桜のばらつきについて言及し、当農園の山形1系敬翁桜に当たる畑のさくらを使用して試験をされていた。先生のすばらしさとその眼力と意欲は、新品種「初夢吹雪」の休眠試験のアドバイスを受けに伺ったときも衰えることなく、試験までかってくださった気持ちに感謝している。
 昭和50年代に入り減反が強く勧められ、啓翁桜の普及が本格化するようになっていく。そこで家の栽培用の敬翁桜をすべて挿し木に回し苗を供給したために、この時点ではかなりの品種群で普及がすすんだ。しかし見た目の変化は極微に抑えられているので統一した品質と評されるようになって行く。別の面ではいいこともあった。平成に入ってからは山形1系敬翁桜に栽培系統が絞られてきたのでかなりの系統はこれになってきたが、気候条件で多湿な地域は胴枯れ病を多発させ商品にならない所もあった。しかし、大方の地域、県内における、酒田、高畠、山形、天童、西川、村山、長井、白鷹、飯豊、南陽、県外では福島県霊山町、二本松市、福島市、富山県山田村、秋田県能代市などでは問題がなく生産ができた。山形1系敬翁桜はやませ地帯では同枯れによる枯死が多発し生産畑の半滅も起こりえた。すべて多湿のなせる結果であった。
 一方で敬翁桜がばらついていたときに普及した地域で、山形1系を後から植えて病死する地帯でも、産地化したところが多々あった。それはばらついていたがためその地域にあったもの、耐病性のあるものがその地域に残ったものと思われる。それらについては追加でRAPD分析しただけで明らかになるであろうが、アンデスのトウモロコシがひとつのみで黒白黄色のまだらで雑種化して気候変動に対応するようなことと同じことになる。具体的には以下で出て来る「山形3.4.5系」である。また、地域の啓翁桜の生産者は周りの生産者に更にまた種苗を供給して行ったのでその地に合った啓翁桜がその地で広がって行った。従って「あなたの地域の啓翁桜は本物でないから植え替えなさい」といった指導は非常に危険であることが言える。
 日本の歴史においても東北に米を作らせようといれたときに飢饉があった、等言われているが、下手な規格化によって、もし政の立場にあるものがこうした農業の現実を知らず指導してした場合、作物を絶滅させる危険は十分にある。偏向した学者様や下手賢い官僚は理屈をこねて規格を押し通そうとするのでそのときは終わりになるが、なにより、「今そこに息づく」ことを尊重すべきだろう。
 (この前後の詳細と実生産地での現象については石井久作が執筆中の仮題「園芸風説40年」に告白する予定。なお、石井重久の方で仮題「敬翁桜(啓翁桜)特性と未来」も執筆中であるが現在進行形の記事が含まれるため公開は2010年予定)
 昭和50年代末期以降からJAの緑化センターや山形県の種苗センターなども供給するようになり、そこで扱ったものについては当農場の山形1系敬翁桜には関係ない。また山形1系敬翁桜は確定したのは1995年なので県園芸試験場の啓翁桜とも違っているだろう。外部資料を参考にする場合はそれら系統が分散していることを十分に了解した上でないと思わぬ落とし穴に落ちる。思わぬ落とし穴とは休眠時間の違いによる促成の失敗、耐病性の違いによる園地の劣化、虫獣のこのみによる被害などである。
 山形でも啓翁桜は「敬翁桜」と書いて1984年ごろまで出荷していたが、偉い人に指摘されたとかで「啓翁桜」と字を改めた。結局現地では『敬翁桜』と呼称され、あてにしていた福岡の花の記事には誤植があるので吟味したとも評せられず、敬翁桜を原種として配する。しかし、山形の敬翁桜は久留米の原種と比較して多少の変異をもっているので啓翁桜でいくしかないだろう。
 しかし、山形の啓翁桜は多少色が薄いなどの差異はあれども大方久作によって「美観からの淘汰」から選抜統一されているので品質もそろっている。まだまだ、ネームバリューも出てきて啓翁桜がもてはやされる今となっては山形1系敬翁桜のジャパンピンクと花持ちと切り枝回復力は品種改良の原点でもあり、さらに統一すべきは統一し、分かれるははっきり分けるように勧める所存だ。
 さて啓翁桜の歴史に戻ろう。緑化センターや種苗センターが啓翁桜種苗の供給を始めたので久作は種苗受注が激減し、切り枝に傾注した。一方で種苗の単純生産から改良の時間が生まれ1988から育種を始めている。このとき八重久作と愛久作の種がまかれていた。
 しかし、すでに色の濃い啓翁桜や短休眠系の敬翁桜はこのとき生まれていたが、久作は啓翁桜の統一が重要と考えて封じていた。
 愛久作の品種登録申請に述べた久作の人生をここに述べてみよう。
「本種の育成者、石井久作は貧しい農家に生まれた。祖父は倉の中の糸紬の仕事で肺を患って亡くした5回の妻の葬式と、7回の結婚とを繰り返し、娘の嫁ぎ先の旅館の保証人となって債務を被り貧乏になっていた。祖父の葬儀では貧しすぎて菩提寺から戒名を取り上げられたほどであった。久作の父、重作は残された財産で細々と生きていた。だが、第二次世界大戦前後で祖父の弟、妹、姉たちは幸せな結婚をできはしなかった。久作は幼少の時右手を骨折、20前後で肺そうといわれ養生のため日本海岸での生活を送ったりした。その、死の病から楽しみを見いだすためにグラジオラスを植えたところから花の栽培を始めることとなった。その当時山形の花の市場などなく町から花屋が自転車で買いにきていた。やがて花の市場ができて、せり人に賄賂を使う生産者が現れたため山形市花き生産者組合を結成した。様々の花を作り彼が7〜8人の女性と見合いして見込んだ相手が「後藤あい」であった。結婚の後も、唐松地区が洪水で流れ石の原になり、それを機会にいりくんだ境界を直線的に交換分合したりした。近所の屋根の茅ふきかえで胸に石が落ちて肋骨を骨折、入院したりした。高度経済成長期になり、手伝いに入っていた男女に就職・結婚を勧め機械化によって省力化していった。祖父は柿、桃、桜桃の栽培も行っていたが、久作はその販売に苦しんだ。国鉄で東京に果実を送ったりしたが、現在ほど桜桃は喜ばれずまだまだ米がありがたい時代だった。冬の仕事の無い山形で、カーネーションの出荷を行い、竹の温室で促成を始めた。そののち雪柳の促成などもした。さくらんぼの不作、温室の販売代理店をかたる詐欺にあって泣き面に蜂のこともあった。その翌年、インターハイのフラワーベースの植裁を山形市から請負い、カンナとベゴニアを植えて成功させた。NHKテレビの電波中継所の建設では横川庄十氏に協力して反対者の調整を行い、東沢地区にかなりの反対にもめげず、さくらんぼの出荷組合を作成した。以後さくらんぼ組合の会長を10年勤める。
 花の活動は山形花・生産者組合では佐々木氏や石山氏などの活動代表を立てていたが石井久作に番が回り組合長に就任した。それ以前に、親戚に当たる井上氏の令嬢の嫁ぎ先の東根市の武田農政課係長の要請によって助成事業・桑の廃園を利用して借金を返す計画に啓翁桜を勧めた。この間、酒田の高橋氏、横手、福島などからも啓翁桜の問い合わせがあった。東根の啓翁桜の裁埴は進まずついに、視察に行ったとき「おまえらではいつまでたっても啓翁桜なんかでまい」と悪態をついてふるいたたせ今の東根に押し上げた。影で自分だけ啓翁桜を植えて人に教えない指導者が居たためこのような手段となった。
同じ頃、稲刈り機を導入。次第に機械化が進んで行った。
 山形県の指導で啓翁桜を中心にボケ、れんぎょう、コブシなどを促成出荷する山形県花木生産者協議会が結成。高橋春樹氏と山形駅前で結成総会を行った。
一方で洋蘭にいれこんでいたが、オイルショックで総て処分することとなり、久作の妻に泣かれることもあった。
 山形の啓翁桜が有名になると県の助成対象作物となり、経済連の県連合会会長となって行った。ここから10年間山形県花・生産者組合連合会会長を行うことになり、東沢という一地域の桜桃組合会長をやめる。このとき桜桃の直売を始めかなり農業協同組合や組合の仲間の干渉を受けていたのでやめるきになっていた。まだ、桜桃直売が珍しい頃1975年頃であった。
やがて、東北横断自動車道の建設予定に桜桃畑がかかり、地権者会を発足、副会長として、唐松地域への永久橋の建設等を陳情。代替として宮城県川崎町に山林と農地を取得したが農地が13a(公図上)しかないためと、宮城県の通則距離25kmに触れて農地法3条の許可条件の仮登記で現在も推移している。その土地を斡旋した仲介人の一人はその1年後に保証人として債務を負い、死亡の後財産を接収され、その地域での絆を失った。
 県連会長をやめる頃地域では農業協同組合理事に推薦され当選、息子(出願者)が後継として就農した年1979年、啓翁桜の普及の功績で、山形県農林水産祭で農林水産大臣賞授賞。祝賀会は当時県会議長沼沢善栄氏が発起人となり宝沢慶喜現市会議員と段取りいただいて盛大に行った。翌1980年山形県農業賞受賞。農協の理事達は我々に関係ないと久作に申し入れたが、名前だけ借りることにした。このときは山形市花・生産者組合が主催して盛大に行った。こののち、理事として地域のカモシカ被害の実態を訴えて、山形市役所農政課・山形市長・山形県農政課・山形県会議員・文化庁・文化庁長官・文部大臣と訴えて駆除が許可される。息子はきつい管理下と踊りまくる生活が嫌で家を出て数年間戻らなかった。二番目の息子は大学浪人していたため、経済的にもしんぎんしていた。
 高速道路の補助で作業場を建設。また、花木促成用の作業場も建設。
現在カモシカについては、畑を囲む網と、銃殺と、自然保護団体が希望すれば麻酔捕獲して引渡しが行われていると聞くが、久作は銃殺が始まるとき「私の祖父は夜明けに出かけ、おどして狐を撃ち、逃げた狐に化かされて、小屋にはいったら夜が空けなかった。そののち、下手すれば命まで危ないと鉄砲撃ちをやめたが、殺生などすればどんな罰が当たるか解らない。私はみんなの意見にしたがって被害の実態を訴えただけで、殺せとは考えもしなかった。無人島に集めて飼っても、一人一匹ずつ飼ってもらってもいいんだ。」といって戒めた。以後、カモシカの駆除の度、山形農業協同組合組合長はおはらいをしたという。
1985年自宅を立替。土蔵を一つ潰す。1988年、啓翁桜を人々に普及させてしまい息子の代に何もなくなるのではと桜を実生。本種はそのときの実生から選抜した物である。1989年久作の母キヨノ死去、この年の桜の実生は後に総て廃棄。1993年息子が結婚と同時に農業に着く。翌1994年山形県バイオテクノロジー賞受賞、同年久作の父重作死去。近年、都市近郊では相続についてのいさかいがおおく、懸念していたが、石沢貞子叔母、石井久吉叔父も放棄手続きに応じ農家としての経営を持続できることとなった。1996年大日本農会緑白綬有功賞受賞。同年県経済連が啓翁桜の規格案と称しSLM等をつけて各農業協同組合にまわす。125cmの中心規格に対して様々の長さを各地で出荷しているためである。山形県経済連が会議を無理押しして125cmをLと定めたが、庄内経済連は125cmを2Lと定めた。花木生産者協議会は独自にSLMをつけない内容で全県に通達した。このいさかいで、受賞祝賀会の経済連・農業協同組合案は花木生産者協議会中心から外れた案となり、久作自身が断わり祝賀会は行わなかった。普及センターの深瀬悦男先生が受賞の段取りを運んだのでがっかりした。
 久作。彼の人生は波乱と苦難との人生であったが、その人生を思わせるような様々の花の咲く本桜に、彼の人生を支えた妻の名の「あい」と、残りの人生への願いの「愛」を込めて「愛久作」とした。」
 申請は平成9年になっている。以後宮城県に所有した土地の国調がらみの境界紛争にて400坪の山林を失うが農地は2004年登記される。
 啓翁桜の規格が分散したため、当農場は個人出荷するようになり、啓翁桜の新品種の発売発表も進めることになる。

 1995年以降、山形1系に集約して以降、本農場から導入したのは規模の大きい導入者の市町村で表すと、福島県霊山町、富山県山田村、山形県高畠町、秋田県能代市、山形県長井市、山形県飯豊町、山形県酒田市、山形県八幡町、山形県遊佐町、山形県戸沢村、青森県浪岡町、長野県長野市などである。また最近は14系が優れているものであるので当農場では山形14系への切り替えを進めている。
 啓翁桜の新品種群の引き合いは山形県内より県外からの問い合わせが多く、山形2系(大阪・青森)、山形おばこ(福岡・岐阜・青森)、初夢吹雪(長野・青森・山形)などである。一方山形県においても、花木研修会において「啓翁桜だけが枝ものでない」などのタイトルと内容で進めている経緯もあり、啓翁桜を県内に抱え込むというよりもグローバル化していく傾向にあることは否めない。
 さてグローバル化を受けての今後の課題と対策が必要になってくる。日本は南北に長く海の影響を受けやすく地域による気候差が激しい国と言える。当地山形の気候により適応したものが、即他所の地域でも適応するとはいえないようであることに気がつかなくてはならないようだ。

 敬翁桜・新品種群の発表展開について二人の重要な人物がいたことを述べなくてはならない。
 1996年、全国花き生産者大会で福岡の生産者の人たちに久留米の敬翁桜のことをお聞きした。そのとき、元農水省の國重正昭先生を御紹介いただいた。1996年その勢いで、丸の内の農林漁業金融公庫の技術参与室をお尋ねし敬翁桜の系統分類、育種の可能性についてお話し、2000年までの育種目標を休眠の短縮と、濃色、大輪かと定めお話した。2005年までの目標を秋咲き、八重とする計画についても意見をいただいた。その際先生は、休眠の短縮化と秋咲きについては疑問を投げられ、別の方向を示された。
 しかしすでに1995年、彩久作(大輪)、初夢吹雪(短休眠)、希望(濃色)など、えており得てから育種目標と宣言しても内的には白々しいかもしれない。2002年には春月花(八重敬翁桜)をえているので1995年の段階で八重化のめどは立っていた。
 國重先生はこれら育種技術以外の花の選び方を教えてくださった。未だ公言することなく、自分の座右の銘としているがまだ語ったことはない。そろそろ語り伝えないと先生にしかられるので、講習会などで小出しにしている。
 「園芸品種は花弁を・・・・・」。「八重化は育種家なら誰でも目指すもの、・・・・・」。「色には汚い色と美しい色がある、冷たい色と暖かい色がある・・・・・・・」。「色の遺伝子には・・・・・」。「桜の美しさはね、京都にきて御覧なさい、千年以上日本の文化を創ってきたところだ、・・・・・」。
 この話の後、先生は癌で入院され、先生のお誘いにしたがい京都に行ったのは先生の葬儀のときだった。2007年4月8日、葬儀のとき京都は桜の花盛りだった。

(つづく)



2003/10/20 秋に咲いた啓翁桜

なぜ啓翁桜は秋に咲くのか?
順次この謎についても記述いたします。
2004/12/03 暖冬に咲いた啓翁桜

夏旱魃で落葉した場合、擬休眠が発生して開花の条件としての休眠を消化する。その後7−8℃でも花芽は生長し暖冬で温かく、17℃なんて気温が来るので咲いてしまう。

 東海桜と啓翁桜が同一といわれたり、敬翁桜と啓翁桜があったり、一体どうなっているのでしょうか。そのあたりのことを探っていってみたいと思います。
 いつ完成するかわかりませんが長らくお付き合いを・・・

啓翁桜の園地

 山形市関沢の伊藤さんが撮影してくださった桜の写真画像です。


 では、山形啓翁桜はどのように育成されたのかを石井久作の足跡をたどって解説しましょう。
その足跡は1995年までに行なった実験によってかいま見ることが出来ます。

 敬翁桜を以下のように分類します。つまり選抜育種を行なって山形啓翁桜にしたわけですが、その過程がどんなものだったかについて解説します。敬翁桜にはいくつかの罹病系が存在しています。その罹病系はいずれ枯死する運命にあるものの5-6年は健在で花も良く咲きます。断末魔の美しさと言いますか、美人薄命と言いますか。
 さてその罹病系を排除したのちに遺伝形質と思われる差異について選抜を進めることになります。

 敬翁桜に存在した罹病系(2003 09 追加修正)
  白色斑入り系 (ウイロイド?) 移る いまだ罹病木は元気に生存中  確率 2/181
  喬性変異系            馬鹿苗病みたいなもの          確率 0/181
  わい性変異系           わい性 萎縮                確率 166/181
    (以下内訳)
    花色濃色                                        (28/166)
    芽枯れわい化                                     (67/166)
    単純わい化 開花不良 その他                          (60/166)
    奇形                                           (1/166)
  生理障害              芽枯れ 狂い咲き 葉の萎縮      確率 12/166
    
 以上の変異系については重複カウントがあると思われる、適時罹病による変異種については焼却しているが、焼却を怠ると芽枯れによる品質低下や、わい化による生産性低下、罹病による短命化によって園地の衰退が起こる。現に園地衰退による啓翁桜の園地の衰えはわが園地でも発生していた。久作はこれらの罹病系を即座に排除していた。

写真 1

わい性変異の枝
bzk03002
写真 2

生理障害 
枝の形態変化
写真 3

葉緑体欠損
写真 4

左葉緑体欠損株
の開花
写真 5

かなり細くなって
枯れこみが発生
している
写真 6

左と同様、大きな
花芽が普通の
山形啓翁桜
写真 7

花芽はかなりつい
ているが、枯れている
写真22 2003/03/09

写真 1
わい性変異の枝
bzk03002 の促成
またしょうもない
白花啓翁桜
写真23 2003/03/09

写真 1
わい性変異の枝
bzk03002 の促成
またしょうもない
白花啓翁桜
 写真1は病気である。他の個体に移らなくなっても色は白花になる。この木の周り3株同じになってしまった。
病気の枝の特徴として休眠終了後でも促成時花芽がすべて咲かず、開花せずに残っている。
写真31
2002秋/2003年冬季間に見つけた変異系の移植による栽培だが
2種を除いてすべて枯れてしまった。2003/06/02
2003秋 1種のみ生存。2003/09/18

写真32

写真33
2003/11/01
秋葉になると葉にふが出てくる。
これは生育むらと、病斑とがあるから簡単にはいかない。
これは病斑である。


系統選抜育種


変異


 さて、病気によって変化したものを識別した後残ったものは遺伝的な突然変異であろうと思われる。
以下には白花変異の状況を示した。白花変異はよく発生し年間3種くらい見つけることが出来る。特にこの枝変わりは1998年ごろから急激に増えてきている。色素の欠損なので比較的発生しやすい変異だろうが、あまり商品価値が高くなる変異でないので見つけても廃棄している。
 写真右の大きくなった白花啓翁桜はなかなか生育が早く病気にも強い。選抜初期にはこのような苗を売ってしまったところもあったようであるが、現在ではだいぶ色の薄い啓翁桜は淘汰してここだけに残している。
 枝変わり(芽条変異)のもっとも発生の多いのは白花であるから気をつける必要がある。
 ついでに除草剤がかかった枝も白花になるが、枯れるか、もし枯れなければもとに戻る。花自体萎縮するので見て判別できる。
久作は色の薄いものは無条件に廃棄していたが、栽培途中で発生し増殖しているところもあるとおもわれる。白花は一般に生育が早い。
 長野県の雪窓園の水内さんから6系統の敬翁桜が送られてきたがまさにうってつけの材料だった。
写真 8

2001/04枝の先端が白色に変異。このまま廃棄した。
写真 9

2001/04
左の品種は白花啓翁桜
右が通常の山形啓翁桜

写真24
2003/04/14 啓翁桜先端が白花変異これらを淘汰することを怠らないことである。

彷徨変異

 交雑した場合、遺伝しない形質がいくつか存在しているが、上記の白花にもいえる。写真8のような変異は大方彷徨変異であることが多く、F1は通常色を出すことが多い。
 写真9は白花が遺伝する。写真9の品種は隣りの山形啓翁桜と地下茎がひとつであるため、芽条変異によるものと思われるが、挿し木発根が悪く、接木についても活着が悪くなっている。耐病性は増しており胴枯れ病に強い。しかしながら本種は廃棄する予定である。
 しかし彷徨変異であっても、挿し木が可能な啓翁桜ではこの変異も立派に存在していくことを認識いただきたい。下の写真の例の樹形は挿し木をすると見事に区別することが出来る。久作はこの選抜を行なっていないので山形啓翁桜には現在混在している。F1は写真11になるのが普通で、一本木立にすると球形の樹形になる。写真10になるには頂芽がまわりの枝より早く成熟して、生育を落とすというバランスの取れない現象が起こっているが、切り枝の生産性からすると写真10の方が生産性が高い。
 ほかに彷徨変異には樹形(こじつけのような取るに足らないこと)、開花時期(1日前後早く咲いて・・・・1日前後早く散る。)などが起こっている。細かく分けると20系統くらいになるがすべて彷徨変異であってF1に大きな差異をもたらすことはない。
 1日遅く咲いて1日早く散る彷徨変異には消えていただいた。久作もこの点の選抜は厳しく行なった。

 (ご指導 Dr.W 色の濃い方が彷徨変異で白花は先祖帰りしている可能性がある。 2003/03/11
   啓翁桜原木の花色は白花ではなく、山形啓翁桜の色そのものだった。だが現地では出ない白花変異がなぜここにあるのか、挿し木の繰り返しで変化してしまったものか。 2003/09/10)

写真10

先端平型
bzl95100
写真11

先端山型
bzl95103

 啓翁桜 → 敬翁桜 → 山形啓翁桜 の違いはせいぜい彷徨変異の範囲ではないかと考えている。

山形啓翁桜に混在する彷徨変異  ○が原種系と推定 必ずしも○がいいものではない。
 樹形      ○山型           箒型

 花       ○開花末期白色化    開花末期中心部紅色化
  flower color
 展葉      ○開花と同時       開花後

 休眠      ○8度以下1000時間  8度以下800時間           8度以下1300時間
   domancy
 稔性      ○雄不能 male sterility 雌雄不能 sterility           その他 

 毛地      ○立毛           斜毛

 葉 蜜線    ○2             1                        3

 葉 形     ○平面           凸凹                       

 〃 色     ○紅緑            黄緑                      深緑

                
写真26

写真27

写真28


 開花時期   ○例年4/15山形     1日遅れ                     2日遅れ

 散り際     ○例年4/26山形     1日遅れ                     2日遅れ

 

彷徨変異の代表品種に『色恋啓翁桜』がある。ワープロで「色濃い」と打ったものがそのまま色恋になってしまった。将来名前は変えると思う。時々枝の先の花の色がもとの啓翁桜の色に戻るところがあるから見つけて切り捨ててほしい。


系統選抜育種 

系統名 解説 特徴 写真
山形1系 敬翁桜 啓翁桜として俗に流通している。
樹高はよく肥えた土地で8−10メートル
普通は8メートル程度で止まる。箒状樹形。
はなもち長く、開花期も長く、色も桜としては濃い方に属する。
石井久作が1985まで県内に普及した30%、以後、1995までの50%、はこれである。 
山形2系 花が密につき、材木生産性は低いが
切り枝の生産性は高い。
石井重久が2000年に分離繁殖、普及の経緯はなし
山形3系 開花後 末期になるほど花弁に赤い
脈が出てくる、ややグロテスクな系統
山形4系 白花啓翁桜 1系のミュータントと思う
耐病性は1系に勝るが挿し木発根が難
見本を残して廃絶予定
耐病に勝るため現在でもかなり普及している。
休眠が長い。
山形5系 1系より1日遅く咲き1日早く散る。
欲しくはないが残っている。2006まで廃絶予定
休眠が長い。
山形6系
山形7系 時々6花弁が発生する系統。
八重桜改良の起点になったもの。
山形8系
山形9系
山形10系
山形11系 時々旗弁が発生する系統。
山形12系 生育は旺盛であるが、花つきが今ひとつ少ない。はなもちも長くない。廃絶予定
BZK98001
山形13系 枯れた後茎が青くなる。
1系より樹勢は劣る。
ほかに特徴はあるが、花を比較してとりたてていいものでもない。(K-N-1962)
山形14系 やや矮性 花がつくと密になり、生長停止は3−5メートル (H-S-2005)
山形15系 初夢吹雪
支倉16系 12月促成時山形1系より4日早く咲く
支倉17系 山形2系に似るが喬木で1系より
大木になる。花色は薄い。

系統名 解説 特徴 写真
結城農場系 開帳している。でかい。
大島桜系統と田中場長がおっしゃるのですから
そういう形態なのでしょう。

ここまで


交雑育種


 啓翁桜は交雑によって生まれたのではないかという疑問が生じる。また多くの品種はそのようにして生まれているのだから当然の疑問である。この疑問を解決する手立てはF1の分離状況の観察という原始的方法によるしか私にはすべがない。しかしながら桜は一般に他家受精だから話がこんがらかる。
 先の長い話になるので結論からいうと啓翁桜は交雑によって両親のシナミザクラにもヒガンザクラにも分離しない。啓翁桜はF1も啓翁桜である。またさまざまの結果から啓翁桜は交雑以外のなんらかの原因で生まれた桜と思われる。


 ひとつは交雑の場合pseudocerasusの果実の渋みは優性遺伝としてF1 にはいる。啓翁桜が彼岸桜の雑種であった場合F1であるから渋くなるはずであった。しかし、啓翁桜の果実は熟すと甘いだけで渋み苦味が入らない。したがって啓翁桜は単純交雑のF1 ではないはずである。また、育成者は何年もかけて改良したという話は伝わっていないし、それほどの土地も所有していなかったようである。
 私が保有する東海桜の実は渋み苦味が入るから明らかに雑種であろうといえるが、こんなところでも啓翁桜と区別することができる。

東海桜の実 啓翁桜の実


 現実に啓翁桜の改良交雑系でpseudocerasusと交雑した果実は渋み苦味が混じってしまう。海外で日本のpseudocerasusを輸入禁止しているのは野生のeucerasusが渋くなってしまうためであろうが、啓翁桜はこの心配はない。


集団育種


 集団育種なんか出来るほど土地もないし、狭い土地でやっているのでご縁もないのですが、意図的に交雑したもの以外は、この考え方が非常に役に立ちます。
 一般論からいって他家受精の桜のことを事細かに分析なんて大変なことですから、母本についてもまずホモの状態の品種なんて半数体を作って倍数体にするという作業をしなければ確証がもてないでしょう。あるいは長年交雑に用いてきてそのF1の分離状況を良く調べた「個体」のクローンを持っているかでないと確証が持てませんから、推定していくしかないときはこの手がいいんです。


突然変異育種


猿化 (退化)

 ときとして、桜の花びらには散らない変異が発生する。
 これは進化によって得られた遺伝子をもってはいるが、交雑・芽条変異などで過去の遺伝情報が発現してくるのであろうと思われる。
確度は高くない。また、花びらが散らないことは結実を控えた実にとっては病巣となり子孫は残せない原因になる。
 さくら属が進化して実を付けるようになり、その後灰星病、たんそ病がはびこり、対処として花びらを散らすようになったと考えると、遺伝子の忘却にはまだ時間が足りなくて保持しているものと思われる。
 以下花びらの散らない品種。

写真 12

bzk01002
写真 13

BZK96002
写真 14

BZK96003

 他の例は花びらが葉になってしまうというバラなどには桜も及ばない遺伝子が存在している。
 私の保有するところではガクが葉になる山形啓翁桜程度までしか保有していない。
 後に撮った写真がわかりやすかったら掲載します。
 あるというだけで実用品種としては程遠い状況。
 (ご指導 離層形成 アブシジン酸の消長 Dr.H 2003/03/10)

放射線育種

 核戦争になったら只ですね。
 敬翁桜の変異の幅から逸脱したおかしなものになってくが、結果はまだみていないのです。
2002生物資源研究所に依頼照射したものですが、こうしたことで啓翁桜が発生したと考えるにはダメージが大きすぎる気がします。しかし、線量を弱くしていったらどうかわかりません。

写真19

薬剤処理

 さまざまの農薬で処理したところ異常に変異が発生する薬剤があったが、登録失効の原因にダイオキシンが不純物で入っているなんてことが明らかになったものがあった。
 ビニールを焼いたものにダイオキシンがあるというが期待したほど変異を生まないので薬剤処理としては、みっちりした物を使った方がいいと思われる。たとえばEMSなど。
 期待したほどいい物にならないし、敬翁桜の変異の幅から逸脱したおかしなものになってく。

 ここで紹介できるのは桜桃のものである。写真17と写真18は同一のものである。ただしこの変異は原木と違った葉の形態になっているが、果実の結実も問題ないので穂木をとって増殖中である。この可能性も否定は出来ない。

写真17 写真18

自然突然変異 

 あまり書きたくないことだが、別に放射線や薬剤処理しなくても自然に突然変異は起こる。
 啓翁桜にだけ易変因子があるのかと指摘を受けていたが(Tr.K)、大体他の桜でもどう確率で発生している。染色体が少ない分変化がより外部に出やすいか何かあるのだと思うが、変化しやすい年と変化がほとんど出ない年がある。
 1996年は生育異常と生理変化の変異が多発した。
 1999年は矮性種が多発した。
 2003年は石化枝が多発した。
 2005年は形態的変化も多かったが、生理的変異もいくつか見出している。
  (矮性青葉桜、矮性彩久作、秋咲き啓翁桜、そのほかなかなか言い表せないけどミュータントになっているもの)
  年による変異発生率の違いは、太陽黒点周期とか、放射性物質の拡散、有害化学物質の拡散がかかわっているのかもしれない。桜だけ見ていてもこの地上の生命存続の危機を感じる。
http://www.prunus.org/mutant/2003mutant.htm

 自然突然変異の代表と言えば「山形おばこ」でいいと思う。最も山形の啓翁桜も久留米の敬翁桜の自然突然変異になるのだが、形態的に違いを見出すことは難しいものもある。
 山形おばこは啓翁桜とRAPD分析の結果違いを見出すことができなかった。江頭先生も試験を始める前に「こういういかにも大きく変わっているものでも遺伝子は塩基ひとつくらいの変化しかない場合が多いんですよ。たった1ヶ所ではあまりにDNAが長すぎて結局どこか判らないと言うことになってしまうんです。物取りの先生に何の変化か判明したらお教えしたらその遺伝子だけ特定すると言うことをしてくれるでしょうけど・・・・」と言うような話になった。結局GA処理すれば正常に伸びるので、「オーキシン生成能力欠損」だけでこうなったといえそうだ。
http://www.prunus.net/bzk99001/bzk99001.htm

接木育種?(pseudogamy)

接木雑種という考え方が多少古いが昔は提唱されていた。
 台木によって穂の性質も変化してくるというものである。現在、お医者様でさえも移植を受けた人間の体には変化が起こり、移植前とはいろいろ変わっていくと経験的に述べてくれる中、接木で起こらないというのも不自然であろう。
 現に台木をわい性台にすると樹高や樹形に少しならず変化があるのは台木の影響あってのことである。
ただしpseudogamyは接木雑種ではなく、接木が原因で穂と台の遺伝的雑種が生まれることで、そうしたことは現実に確率はすごく低い。当てにしてできる仕事ではないのは間違いない。

pseudogamy

 啓翁桜は「吉永啓太郎氏育成 シナミサクラ台の彼岸桜の枝変わり」とされているが、pseudogamyが起こったとしたらという可能性が捨てきれない。いずれにしてもフローサイトメーターで見れば交雑か突然変異かはすぐ判明するのだが、独立行政法人果樹試験場東北支場にお世話になっているが設定が難しくいまだ判明していない。
 しかし、pseudogamyの可能性は捨てきれない。今年も啓翁桜を台木に愛久作を接いだものの台から変異が生じ1/4愛久作の性質を入れた山形啓翁桜が生まれている。この花は愛久作の欠点がかなり克服されて見事な花になった。啓翁桜を台にした愛久作は約500株であった。試験場などのサンプルよりかなり多いと思う。めったにみれない現象ではある。
 まだ私の仮説でしかないが、pseudogamyには土の中のウイルス、バクテリアなどが関与していると思われる。芽条変異の多発するところは病気も多発する。写真3の病原体はやってくれないから別のものだろう。今年は写真5の病原体でためしてみたい。 


bzk03001
写真 14
bzk03001
写真 15
bzk03001
写真 16
bzk03001
写真 20
2003/03/09
bzk03001
写真 21
2003/03/09
このつぎめのカルスから出てきた不定芽はいった
い穂か台かどっちの品種になっているか?(2003/04)

 2004/12 上記の文章でなぞかけたが、今年確認したところ穂木の品種だった、そう簡単に期待したエッチな結果が出るわけはないですね。



倍数体育種

 デメコルチンやコルヒチンを用いての倍数体作成。 処理すると枯れるのが多くて・・・、大きくなることもなくかえって萎縮するのが多いです。
正確に4倍体作れませんかねえ。
 倍数体の変化で啓翁桜になったというものではないと思います。


山形啓翁桜の分類について

 啓翁桜については 「果実がシナミサクラに酷似していること、可食であること。」 ほとんどの Pseudocerasus の果実にある渋味苦味がないことなどから Eucerasus に分類されるでしょう。 自動的に啓翁桜誕生の台木 Pauciflora に属することとなりますが cv keiohzakura とするにはあまりにも類似種が多いため var keiohzakura とし cv keiohzakura , cv SaiQsaku とすることを提案しています。
 この件については「甘果オウトウ(Prunus avium cv.)とサクラ属植物(Prunus spp.)との種間交雑の予備的実験 (山形大学 鈴木洋助教授ら)」 の説より変種扱いということで一歩踏み込んでおります。他にも実験データがありますがここでは割愛します。


関係のないお話(生理変化)

写真25
2003/04/29

 上記の写真は同一株で手前が白花で奥が赤く見えるが、手前の開花が若木のため遅く、奥が老齢で早く咲いて末期になってがくが赤くなってきているため赤く見える。遺伝的な変化によるものではないと判断した。このような変化の方がはるかに多いから彷徨変異といえどもそう簡単にはお目にかかれない。


写真29

写真30
2003/06/04
狂い咲きの啓翁桜。
散形状とされる形態が狂い咲きでは散房状になる。
散房状の桜も急激に促成すると散形状になるからこの形態の違いは遺伝的な差異ではないと考えたほうがいいのではないか。

また随時追加します。

桜の進化について(2009)

(つづく)

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