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平成1710月1日

 北九州久留米の敬翁桜を発端として、山形において商品として発展した啓翁桜であるが、江頭先生によりますと、易変因子等の変異によるものでもなく、木本でクローン繁殖してきたため変異が蓄積して行ったものとの見解でした。たしかに現場からはりんご「ふじ」、さくらんぼ「佐藤錦」にもこうした変異は起こっていると推定できる報告が多々あります。
 ただここで明らかになったのは、久留米の敬翁桜なくして山形の啓翁桜はありえなかった。まさに、良永啓太郎氏、弥永太郎氏、そして大和農園山本分場長のご縁によって啓翁桜がここに咲くことに深く敬意と感謝申し上げる次第であります。

啓翁桜系統間における遺伝的変異の調査 山形大学農学部 江頭宏昌先生
http://www.cerasus.org/rapd.html


 2004/04 弥永さんからの追加のご連絡によると、「良永啓太郎さん実家に残る啓翁桜原木」らしきものは後に植えたもので、原木を育成したという栽培地は山の上にあったそうです。今は荒れ果てて原木はなくなっているそうで、すなわち良永さん宅の桜を原木とすることはできないだろうということでした。
 したがって、原種比較は弥永さん宅の敬翁桜と、山形啓翁桜を比較して進めるしかないようです。


2003/09/12 啓翁桜(敬翁桜)の原木をたずねて

 福岡県久留米市は啓翁桜の生まれた土地である。ここにかねてより悲願であった良永啓太郎さんの墓参にうかがうことができた。良永さん宅には今も啓翁桜の原木が健在であった。山形の啓翁桜と同一のものかどうかについて今後の結果が楽しみだ。
 案内をしてくださったのは、弥永太郎さんのご子息 弥永太助さん。いまも農業を現役でやっておられ、農業の話に弾みがついた。

 本種の原木究明にご協力いただいた国重正昭先生、鹿毛哲郎様、ご支援いただいた山形県ならびに山形市に深く感謝申し上げます。(石井重久)

 良永啓太郎さん実家に残る啓翁桜原木。
山形で栽培する啓翁桜と花はよく似ていたが、まったく手放しで同じとはいえなかった。

良永啓太郎さんの菩提寺。
啓翁桜(敬翁桜)の育成に感謝して・・・・・・
墓参する弥永太助さん(奥)と石井久作(手前)。
良永啓太郎さんの墓所。
 弥永さん宅の仏前にて。
 弥永太郎さんの奥さんに昔のことをうかがう。弥永太郎さんに嫁ぐ8年前良永啓太郎さんは他界。弥永太郎さんは良永さんを敬い「敬翁桜」と桜に命名したという。
 しかしながら、別の点では福岡で行われた全国花卉生産者大会の資料編集に参加しておられた弥永さんが啓翁桜の解説の一説を誤植するのは疑問との評がある。
 しかしながらここで啓翁桜と敬翁桜の混雑が起こったことがわかりなぞはひとつ解けた。
弥永太郎さんの作った啓翁桜園地。
この桜は山形で栽培する啓翁桜と非常によく似ていた。
啓翁桜を普及した弥永太郎さん。
平成2年他界。
山本村村会議員、池坊の華道師範などの逸材であられ、福岡県・久留米市での花卉産業に大きく貢献された。

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